クライマー2019-02-19 22:14

先日読んだ「ランニング登山」の著者はこう書く。
ランニング登山
登山界も競争の原理が崩れたら話題性がなくなって日蔭の存在に転落し、同時に山岳雑誌はつぶれると思って間違いない。山川草木を愛で、花鳥風月に<もののあわれ>を感じる登山者は確かに多く、雑誌の方もそれらを無視して営業は成り立たないが、頂点に感傷の一切を排除し、全能力、全財産、そして生命を賭けたひと握りの競争者がいてはじめて登山界は成り立っている。」

「高峰の征服競争や人跡未踏の地の探検競争は消費型行為なので、地球の面積が有限である以上、いずれは対象が消費し尽され行為自体が消滅する運命にあり(現在なりかかっている)、必然的に他の一般のスポーツ同様技術、体力そして時間勝負に変わっていかざるを得ない。」

「登山者には運動神経が鈍く、スポーツ音痴の人が多い。自分の性格や能力を数値で明瞭に評価し、他者と比較・競争することをきらい、一定のルールのもとで全力を出し切る能力と精神力に著しく欠け、狭い殻に閉じこもってひたすら自己満足にひたる。」


という著者も1999年にスイス・マッターホルンで滑落し、55歳で亡くなり、初版のカメラマンも2002年に穂高で遭難している。

先鋭的な登山家は死と隣り合わせにいる。
若い頃の死は未来を失うことであり、年取ってからの死は余生を失うことであろう。
だからこそ前者には痛ましさがつきまとうが、クライマーは生ききったという思いが強いかもしれないな。

今日は雨なので、この本を一気に読み終えた。
太陽のかけら ピオレドール・クライマー 谷口けいの青春の輝き

彼女の死はネットニュースなどで知っていたが、私は登山客でもクライマーでもないので、彼女のことを寡聞にして知らなかった。
今回、読み始めるとクライマーとしての彼女、そして彼女を巡る人間像がいきいきと描かれている本だ。最近の山岳本のなかでは出色のできではないか。

彼女は大学時代はメッセンジャーとして働き、サイクリング部では林道を繋ぎながら国内を走ったり海外遠征もしている。
卒業後は、アドベンチャーレースに参加、そしてクライマーとして名を成していく。
ただ彼女は「登山家」や「クライマー」よりも「旅人」がしっくりくると思っていたようだ。。テーマは「自分自身の限界への永遠の挑戦」。山岳スキーに習熟しようとする途中、国内の山で滑落死している。

クライマーでなくとも、この本を読むと人としての熱量が伝わってくる。
最近読んだ本では、構成もよく、クライマーという独自の世界に対し門外漢でも魅せられる本だ。




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