映画「(ハル)」 ― 2017-06-03 22:10
午前中はAmazonビデオで映画「(ハル)」を観ていた。
確か1996年に映画館で観たはずなのに、ほとんど初見のような印象だ。
私のパソコン歴史からすると、1991年に初めてデスクトップパソコンを購入。全盛期だったNEC、その互換機のエプソンPC286VG、OSはMS-DOS3.0の時代でパソコン通信がモデムを介して行われ、テレホーダイ(23時から翌朝午前8時まで電話代が定額のサービス)を利用して深夜にパソコン通信をすることが多かった。
光ファイバーの常時接続が常態となっている現在では、想像できないほどロースピードの世界だ。SNSもなく、電子メールが連絡し合う手段として全盛期の時代だった。いわばテキスト中心の世界。
映画ではハル(内野聖陽)とほし(深津絵里)が電子メールで互いの交流を深める。映画の画面にそれぞれの電子メールの字面が全文現れる。音声はない。だから映画全体が静かな雰囲気だ。
電子メールとはいえ、その文体にはその人の性格みたいなものが現れる。ちょっとした罪のない嘘を乗せても、長らくその文体を読んでいるとその人と成りは意外とリアル像とは大きく離れない。
自宅でゆっくりと映画を観ていると、恋人を亡くしてもう人を愛すまいとしている「ほし」の自室の本棚には村上春樹の諸作品が並んでいる。
喪失の物語を紡ぐ「ほし」のイメージを際立たせる小道具としては、なかなかよくできているのではないか。
確か1996年に映画館で観たはずなのに、ほとんど初見のような印象だ。
私のパソコン歴史からすると、1991年に初めてデスクトップパソコンを購入。全盛期だったNEC、その互換機のエプソンPC286VG、OSはMS-DOS3.0の時代でパソコン通信がモデムを介して行われ、テレホーダイ(23時から翌朝午前8時まで電話代が定額のサービス)を利用して深夜にパソコン通信をすることが多かった。
光ファイバーの常時接続が常態となっている現在では、想像できないほどロースピードの世界だ。SNSもなく、電子メールが連絡し合う手段として全盛期の時代だった。いわばテキスト中心の世界。
映画ではハル(内野聖陽)とほし(深津絵里)が電子メールで互いの交流を深める。映画の画面にそれぞれの電子メールの字面が全文現れる。音声はない。だから映画全体が静かな雰囲気だ。
電子メールとはいえ、その文体にはその人の性格みたいなものが現れる。ちょっとした罪のない嘘を乗せても、長らくその文体を読んでいるとその人と成りは意外とリアル像とは大きく離れない。
自宅でゆっくりと映画を観ていると、恋人を亡くしてもう人を愛すまいとしている「ほし」の自室の本棚には村上春樹の諸作品が並んでいる。
喪失の物語を紡ぐ「ほし」のイメージを際立たせる小道具としては、なかなかよくできているのではないか。
映画を見終えてから、クロモリロードで2時間ほどポタリングしてきた。
もう会えなくなった人々を思う。切なくは思うが寂しくはない。その人の中に自分が、自分の中にその人がいるから。
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