乾いたセンチメンタリズム2016-01-03 22:24

昨日のライドで身体がやはり重い。明日から仕事なので自宅でゆっくりしていた。

この正月休みにAmazonなどで購入した電子書籍を読んでいる。

人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)
人工知能でこれだけの仕事が消滅するとか、車の自動運転が可能になるとか、例によって煽るような記事が多いけど、よくわからない。99円と破格の値段だったのでダウンロードした。それにしてもこの値段設定はどういう理由なんだろう、紙書籍と差がありすぎます。

そして斎藤純の電子書籍をまとめてダウンロード。オートバイをめぐる短編小説とツーリングライド記録。といっても斎藤作品はオートバイばかりを前面に押し出そうとはしない。

昨日のブログ記事の表題も斎藤作品に感化されて付けちゃいました・・・
暁のキックスタート 風と旅とオートバイ―ツーリング・シーン12章 (広済堂文庫) オートバイの旅は、いつもすこし寂しい。


























50歳を過ぎたらオートバイ乗りになりたいなと思っていて、思わず山歩き派から自転車乗りになり、うかうかしていたら今年で63歳、もうオートバイに乗ることは自分の分にあわないので諦めた。

でもオートバイの小説、とくに斎藤作品は「乾いたセンチメンタリズム」があって好きなんですよね、そして読むと自転車で走りたくなるし、いつかは琵琶湖や鳥取米子にちょい住みしてロードバイクと読書と寝るだけの生活をしようという楽しみが見えてくる。

甘ったるいセンチメンタリズムが自己承認を求めるのに対して、乾いたセンチメンタリズムは御しがたい自分というものをちゃんと弁えている。そんな感じかな、うまく表現できないけど。

自転車は100万円のものに乗ろうと、エンジンは自分の身体しかない。ツーリングライドといっても連日走るとなると、いまの自分では1日100kmくらいが限界となっていくだろう。移動効率としては当然ながら、電車や車やオートバイに敵うべくもない。

でも身体の声と風を聴きながら走るロードバイクから見る風景の豊穣さは、オートバイ乗りに負けず劣らず自転車乗りならば、ライドのたびに感じているんじゃないかな。

息子たちのような若者はツールを介しない身体の直接性(マラソンやトレイルラン、格闘技)を好むけど、オヤジは「乾いたセンチメンタリズム」の世界を見ることのできるロードバイクが相応しいかもしれません。

そして今宵は鳥取から帰ってきた長男と夕食。今月6日に孫が鳥取から母子ともに帰ってくるので楽しみ。次男は年始早々、婚約者と結婚式場の見学へ。

いろんな役割が私にもあるので「乾いたセンチメンタリズム」だけに浸っておれないところが悩ましいところ。

でも面白げな1年になりそうです。



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