1975年の中山ラビ2021-07-23 21:39

梅雨明け後、猛暑の日々が続く。先日、カーボンバイクで能勢まで走ったけれど、熱中症手前のようなヘロヘロの状態になった。帰路の呉服橋近くの高架下ベンチで30分ほど身体を休めると、なんとか状態が回復。加齢とともに排熱処理がうまくいかなくなっているようだ。

夏空の能勢

能勢の里道

下阿古谷集会所のツバメの巣。ひな鳥が数羽いるようだ


70年近く使ってきた肺・心臓などがポンコツとなっているのは当然だろうから、10年前のように「夏だ!100km~200km、ロードバイクで走るぞ!」といった無謀さは私の身体には残っていない。

71kmほどなのにバテバテ


ヘロヘロになって帰宅して、スマホのGPSアプリを停止。フリック操作の途中、なぜか電話帳から勝手に発信したようであせって、「誤って電話しました。すみません」とお詫びのSMSとメールを相手に発信する始末。
長らく交流のない人々の電話番号・メールアドレスをまだ電話帳に漫然と保存しているけれど、なぜか昔の女友達に電話していた。あ行で始まる人でないのに、なぜその人向けに発信したのだろう。

10年以上も交流はないので、メールアドレスが変わっているかなと思ったが、彼女から「熱中症にならないでくださいね」と律儀に返信があった。50代前半の頃ははまだまだバリバリの現役、そして交流関係も広かったけれど、猫の額より狭い心をもつ私はしだいに組織や人間関係からフェイドアウトしていった。

けっきょく、近しい友人関係は5人ほど。それぞれ17年から25年ほどのつきあいで、山に登ったり旅をしたり、お酒を飲んだりする仲間たち。オリンピック関連で過去の言動で批判され、排斥される事例が続いている。私は露悪的な私小説やエッセイを好まないが、それは「いまの自分が過去の自分に復讐されること」に無頓着なためかもしれないね。
露悪的な生き方はいつか自分を毀損するような思いがいつもある。

昨日は外出せず、音楽を聴いたり読書したりしながらまったりと過ごす。

最近逝去された中山ラビさんのアルバムを聴く。1975年の中山ラビ、森田童子、山崎ハコなど女性シンガーの歌声は懐かしい。思い出とともに歌は確かに存在する。

1975年、私は地方の国立大学に在籍していたが、秋の大学祭にゲストとしてラビさんが出演して、当時のアルバムの何曲かを披露してくれた。旧帝大をのぞいて、当時の地方国立大学は駅弁大学と揶揄され、建物はチープで図書館や学生食堂も貧弱な環境。でも学食のラーメンは80円で学費も年間36000円だった。前期の学費18000円を支払ったが、入学金5万円とあとの学費はすべて免除申請して認められ、わたしは大学を18000円で卒業した世代。

駅弁大学とはいえ、貧乏な家庭でも大学進学できた時代だったといえようか(高校の同級生で先に国立大学へ進学した友人は、学費値上げ前の前期3000円の学費のみをおさめて旧帝大を卒業している)。息子たちには「苦労は買ってでもするな」と彼らの大学・大学院の学費をせっせと支払ったが、当然ながら雲泥の差の学費ですね(苦笑

脱線したが、たしか大学のホールでラビさんのミニコンサートが開催された。

ラジオで彼女の曲「ひらひら」をよく聴いていたし、当時のシンガーソングライターの雰囲気をまとった歌姫という感じ。小柄でソバージュの髪型、でも歌声は力強い。ギターいっぽんで独唱していたと思うが、酔ってしまった学生(なんちゃって新左翼で下品な顔をしていた)が彼女にしょうもないヤジを飛ばしたが、ラビさんは軽くいなして「ぼうや、ちゃんと私の歌だけ聴いてね」というオーラがあった。カッコよかったな。

中山ラビ「ひらひら」

当時は私よりずいぶんとお姉さんに見え、年齢非公開であったが、どうやら4歳ほど年上だったようだ。いまあらためて彼女の曲を聴くと、詩人としての色あいが濃いね。

中山ラビ「人は少しづつ変わる」



学祭の別の日には理学部のキャンパス(私は法学部在籍)で野外の映画上映をみた。
映画は藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」。アートシアター系の陰鬱で私小説めいた映画(「祭りの準備」「旅の重さ」など)がもてはやされる70年代だったが、少年時代にゴジラと若代将シリーズで育った私にはなじめない映画。時代が「悩むことは高尚なこと」「つんのめるように歩く思考態度」をよしとしたのかもしれない。

これから自分も含めて、人はすべからく滅んでいくのだから、日々を静かに送ればいいんじゃないかな。先日読んだ音楽エッセイの中で浅川マキが晩年、認知症の傾向があったことを暗示する記述があった。人は平等に老いるのだから、若ぶるのはかえって醜いね。

最近、よく聴く音楽は谷山浩子とN・S・P

つっぱって恋していた17歳のころを思い出す曲ばかり。同級生とデートしていた頃を思い出すけれど、昭和は残影の世界になりつつあるのは致し方ない。

コロナワクチン予防接種2回目も2週間前に完了。副反応は1回目と同様、接種部の鈍痛のみ。抗体はできただろうけれど、日常生活はまだまだ変わらないだろう。もともとオリンピックには昔から興味はないし、招致の際「原発はアンダーコントロールできている」と発言したことに唖然としたほど。

コロナウィルスは日本という社会が、学閥・門閥・閨閥、そして利益誘導社会であることをあらわにしているのではないか。そしてそこにポピュリズムがさも勇気のあるような振りをして入り込もうとしている。

ただ隠居としては、日々の生活をキチンと生きていくことだけだろうな。

今年は長らく友人らと会っていないが、8月上旬に山友とハイキング+銭湯+飲み会、女友達とワイン酒場、下旬には旅仲間の女友達らと食事会の予定。
私自身はコロナワクチン接種で抗体はできているだろうが、ワクチン接種したからといって感染しないわけではないし、人に感染させる危険がなくなるわけでもない。少人数で、しみじみとお会いするのが吉だろう。

そして家族はどんどん増えていき(来月には次男夫婦に第2子の次女が生まれる)、長男夫婦は男子二人、次男夫婦は女子二人と孫が4人になる。当然ながら孫守りの機会も増えてくる。長男夫婦・次男夫婦ともにフルタイムで働いているので、親の助力(次男夫婦は近くに住む奥さんのご両親がフォローしてくれている)なしには子育てはむつかしい時代やね。

それでも夏は好きな季節なので、まったりと楽しんでいきたいね。
   



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