「PAPERSKY-KOCHI-」と土佐人の翳2021-05-22 20:01

2021年5月19日(水)
前日の天気予報は曇天だったが、予報より梅雨前線が北上してしまい朝から雨。
週に一度は平日にカーボンバイクで80kmほどは走ろうと算段しているが、それもかなわず。

午前中は読書。


なぜかフランス旅行の帰路の飛行機で見た北欧の夜景を思い出した。長いフライト時間だから機内は満席なれど静か、そして室内灯も灯りが暗めに設定されている。眠れずにシート前のTVでフライトレコーダーの画面を見ると、ちょうどスカンディナヴィア半島の上空を通過している。

飛行機の窓から眼下を見ると、北欧の町の灯りが美しい。東京や大阪などの都市の夜景と異なり、淡い灯りが点在している夜景だ。

この詩集のようなコミックを読んでいると、その飛行機の場面も思い出したな。

午後からは小雨となったので、ウォーキングで西北のジュンク堂へ。新刊をチェック。
「PAPER SKY-KOCHI-」の新刊が出ている。特集は「海へ、山へ、大自然の懐へ、野性を刺激する “モダン・ノマド” の高知旅」


毎年一度は高知旅をしようと思っていたが、コロナ蔓延のため遠くへの旅行は自制している。

ウォーキング 10km弱

忘れられた玩具



5月20日(木)
午前中はかかりつけの病院で定期検診。雨なので散歩がてら病院へ向かう。事前にWeb受付しているので、自分の順番となる頃に病院へ到着。

先月の血液検査の結果を主治医から聞く。尿酸値が高め以外は、いまのところ異常な数値はなし。尿酸値は30代ころからずっと高め。ここ数年も高どまりのままなれど、投薬するまではないでしょうという主治医の意見。

あと10年ほどは、だましだだまし身体を維持できればいいかなと勝手に算段しているが、これはさすがに自分のおもうままにはならないだろう。

待ち時間のあいだ「PAPERSKY」Kindle版をダウンロードしていたので、スマホで読む。ローカルとしての高知礼賛の文章が続く。

19年間生まれ育った町がほめられることはよいことだろうが、同時にそれはあくまでも若い移住者や旅人からみた視点という小さく限定的な評価だ。

私は19歳で高知を離れる際、「こんなしんきくさい町には二度と戻ってこない」と密かに思ったが、それも自分の狭い生活史と価値観からくるもの。

司馬遼太郎はかって地元の史談誌に「土佐人の翳」という小文を寄稿している。

「私ども他郷の者の目からみるのに、土佐人の面影にはつねに淋しさの翳がある。孤独というか、虚無感というか、歴史上の土佐人だけでなく、いま私がつきあっていただたいている諸先輩や友人たちにもかならずそれがある。おそらく土佐人自身は自分のそういう特徴に気ずいていないにちがいない。

坂本竜馬が大政奉還後、新政府の役人になることをこばみ、西郷を鼻じろませたのもこの基質であり、かれが、「わしはそういうものになるためにいままで奔走してきたのではない」といったとき、その土佐的翳が一段と濃くなったことであろう。」


南方的明るさや、いごっそう(頑固で主義をとおすこと)はちきん(しっかりものではたらきもんの女性)が土佐人の特徴として強調され土佐人もそれをよしとする傾向があるが、司馬遼太郎は慧眼だったかもしれない。土佐に限らず、ローカルで生きるということはどこか翳を身体にまとわりつかせる、たぶん四国山地に遮られ太平洋は眼前に茫洋と拡がっとていることがかえって、人に翳をもたらすのではないのか。

19年間の高知でまわりの大人や同級生もこの翳とは無縁でなかったような気がする。


若い移住者は、小さく賢く生きるライフスタイルを選択していくだろうし、そのエネルギーは若さの力だろう。

老人のローカル暮らしは無理なので、旅人として今回紹介されている場所も訪れてみたいね。


「PAPEP SKY」のHPを見ていると、雑誌の特集にふさわしい音楽のプレイリストが聴けるようになっている。IdeaPad Duetでプレイリストを聴きながら、特集を読む。グラベルバイクやロードバイクでの旅の記事、石川直樹氏のエッセイなども連載されていて魅力的な雑誌。

5月21日(金)
昨夜は強い雨。今朝も雨が降りつづける。
午後からすこし小雨になったので、路線バスで阪神尼崎駅まで出て、自宅までウォーキング。
バス内ではブルース・スターリング「タクラマカン」を読む。乗り物内ではけっこう読書がはかどる。


庄下川沿いを北上。川沿いの遊歩道は昨夜以来の雨で、ところどころ水たまりができている。


10kmほどウォーキング。




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