モン・サン・ミシェル2020-11-21 22:20

三密を避けた生活。隠居だとたやすい。

私小説のようなエッセイのような短編を読む。

高知時代に犬を2匹飼った。昭和の時代、ペットフードを与え健康管理して、室内で犬を飼うという習慣はなかったのではないか。食事は家族のごはんの残り物、散歩時の糞の始末もしない、戸外の貧相な犬小屋で雑種の犬が飼われているというのが昭和(とくに高度経済成長時代)のペット様式だった。

先日、孫たちと遊んだショッピングセンターにあるペットショップを覗くと、子犬が50〜60万円で売られている、その値段に驚愕。ペットも家族の一員であり、貧しき者に犬を飼う資格はないということだろう。


小学低学年の頃、雑種の犬(黒い色の雑種だったのでクロと名付けた)を飼っていた。
田舎の町では当然のように段ボール箱に入れられた子犬(たぶん育てられなくて親の飼い主が遺棄したのだろう)が見うけられた。
そんな犬を拾って、当時の子ども達でどうしようかと考える。親に相談しても飼うことを拒否されるので(親たちも経済的に豊かではなく、犬を飼うどころではなかったのだろう)、私たちは裏山の林に子犬の秘密基地(枯れ木や枯れ草を集めて作った寝床)を作って、仲間のひとりが家に配達されている牛乳瓶からミルクをアルマイトのカップに入れて、子犬の与えた。
でも何日もそんな飼い方はできない、結局私が母親に泣きついて、その子犬を飼うことになった。

でもクロはそれほど長生きしなかった。自由に畑などで遊ばせていると、ある日、泡を吹いて死んでしまう。たぶん当時大量に使用されていた農薬がかかった作物を食べたことが原因かもしれないと子供心に思った(真実はわからない)。

小学校高学年の頃、連棟の借家から、一戸建ての借家に転居した。近くの親戚の犬が子犬を何匹か生み、その一匹を譲り受けて飼うことにした。名前はラッキー。捨てられる予定の子犬だったが、私たちに育てられて幸運だったね、ということでラッキーという名前、今思えば凡庸な名前。

スピッツの雑種で、当時のスピッツは無駄吠えが多いと言われた犬だ。
ラッキーも神経質な犬だったような気がする。

私が19歳の頃、ラッキーは死んだ。10年くらい生きたのだろうか。雑な飼い方なので、それほど長生きではなかったのだろう。

息子たちに小さい頃、犬を飼って欲しいとせがまれたが、室内飼育に抵抗があったし、息子たち二人を育てるので精一杯。そして夫婦二人になっても、犬を飼うという選択はないだろうな。

犬を飼うということは、とても贅沢な時間だろうけどね。


でもこの本を読むと、昔の自分の子供時代を思い出した。


絵は森泉岳士。村上春樹の本の装丁も手がけているし、彼独自の本も魅力的だな。




詩集を読む。




フランス旅行の際、モン・サン・ミシェルの島内のホテルに宿泊した。ツアー客は離れの棟に皆泊まって、私は古びた、でも快適な個室で波の音を聴きながら眠りについたことを思い出した。


ソウル、台北、イタリア、フランスと気のおけない女友達らと旅行して、次回はスペイン旅行の予定だったが、コロナの時代、私はますます年老いていくので、もうスペインには行けないかもしれない。でもそれほど残念でもない、まだ日本に行きたい場所が多くあるのだから。海外旅行の緊張感(スリ対策、パスポート紛失しないようにする、会話が不自由)から離れて、しっとりと国内を旅行するのもいいだろう。


今日は定例の孫2号(長男夫婦の次男2歳)の子守。
午前8時半、長男が我が家に孫2号を連れてきた。いつも孫は満面の笑み。
おやつをすませ公園で1時間ほど遊ぶ、午前中1時間ほど寝る(午前5時半には起床していたから)、昼食後、再度公園で1時間ほど遊ぶ。
帰宅後、おやつ、そして大きなウンチをする孫。鉄道の録画番組を見ながら、布団にゴロゴロとひとりで寝ころぶと、そのまますんなりと午睡。

午後3時過ぎに、長男と孫1号が我が家に来て、皆でおやつ。孫2号は満面の笑みで、トート(お父さん)、ニイニ(お兄ちゃん)と喋りながら帰って行く、かわいいものです。

右膝の痛みはだいぶ緩和されたが(孫と走ってもそれほど違和感はない)、クロモリロードで30kmほどポタリングする日々。

あらためて自分スタイルの、これからの自転車の乗り方を考えながら、ポタリングする日々。





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