はじめての町2020-04-20 21:54

人生100年時代だとか、「孤独のすすめ」とかが遠い昔の戯れ言のように感じられるような、なにか鬱屈した雰囲気が漂っている。

今日は午前中は長男宅に出向いて、孫と小一時間遊ぶ。長男の奥さんが通院したいが、このご時世、子ども達を一緒に連れて行くことができないのでLINEを通じて助力の相談があったので、すぐにママチャリで応援に行った。

私たちも保育所に息子たちを預けてフルで働いてきたので、助力することにやぶさかではない。でも長男夫婦も高齢者である私たちにコロナウイルスを感染させることを危惧して、以前よりは交流は少なくなっている(現在はすべて自分も保菌者であるかもしれないという距離の取り方が必要な段階だろう)。

今週は長男の奥さんも有給を何日か入れており、長男も在宅勤務が難しい職種とはいえ、会社がコロナ対策として特別有給を認めたようで、週一日はその特別休暇を取得する予定とのこと。

私たちは人的接触が少ないので、息子たち夫婦が疲れ切って免疫力低下することをかえって危惧している。できる範囲で助力は必要だろうね。

平日はソーシャルディスタンスを十分とりながら、武庫川河川敷などを10kmほどジョグ&ウォーキングしているが、人が近づくとジョグを止めてウォーキングにして息を吐かないようにしている・・・

神経症的だが、それくらいするほうが互いにストレスが生じないかもしれない。

TVの下品で扇情的なワイドショー・情報番組を見てもしかたないので、読書したり、スポーツ系の録画番組を見たりする。NHK・BS1で放送された「高知龍馬マラソン」の特集がとても魅力的で、私でも走ってみたくなるほどだった。


京都新聞Web版で「黒田百年桜」がほぼ満開になったことを知る。
なんどかロードバイクでこの百年桜の前を通っているが、開花した桜に出会ったことがない。今年の桜は人に見られることも少なく、ひっそりとその花を山里で満開にさせていたのだろう。






若かったのでロング走ることができたな。

茨木のり子さんの詩「はじめての町」を読む。
いまコロナウイルスで私たちは移動の自由が制約されている。そしてそれがいつまで続くか現時点では不明だ。

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はじめての町  / 茨木のり子 

はじめての町に入ってゆくとき
わたしの心はかすかにときめく
そば屋があって
寿司屋があって
デニムのズボンがぶらさがり
砂ぼこりがあって
自転車がのりすてられてあって
変りばえしない町
それでもわたしは十分ときめく


見なれぬ山が迫っていて
見なれぬ川が流れていて
いくつかの伝説が眠っている
わたしはすぐに見つけてしまう
その町のほくろを
その町の秘密を
その町の悲鳴を


はじめての町に入ってゆくとき
わたしはポケットに手を入れて
風来坊のように歩く
たとえ用事でやってきてもさ


お天気の日なら
町の空には
きれいないろの淡い風船が漂う
その町の人たちは気づかないけれど

はじめてやってきたわたしにはよく見える
なぜって あれは
その町に生まれ その町に育ち けれど
遠くで死ななければならなかった者たちの
魂なのだ
そそくさと流れていったのは
遠くに嫁いだ女のひとりが
ふるさとをなつかしむあまり
遊びにやってきたのだ
魂だけでうかうかと


そうしてわたしは好きになる
日本のささやかな町たちを
水のきれいな町 ちゃちな町
とろろ汁のおいしい町 がんこな町

雪深い町 菜の花にかこまれた町
目をつりあげた町 海のみえる町
男どものいばる町 女たちのはりきる町

― 茨木のり子詩集 落ちこぼれ (理論社)
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コロナウイルス後の世界は、私たちのライフスタイルを変えざるを得ないだろう。
それが強圧的で排他的な世界ではなく、共生としての世界であることを、そして未来の子ども達にとって生きやすい世界であることを希求するのみだ。



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