25年2020-01-17 12:42

2020年1月16日〜17日

16日(木)

クロモリロードで図書館を巡って、本の返却・予約本の受け取り。

夕方は長男夫婦の孫守の手伝いを頼まれているので、長男宅へ。

長男の奥さんが病院受診のあいだ、孫たちの子守を妻とともにする。
朝にLINEで長男から急遽手伝いを頼まれたけど、子どもから見ると親は「いつまでも元気」で「いつでも面倒をみてくれる」、「自分たちよりお金もある」存在。

でも私たちの老いが深まるまではそれでいいんじゃないかな。4歳と1歳の孫二人は元気いっぱい、そして両親が短時間で揃うことがわかっているので聞き分けもよい。

妻が孫たちにぽんかんを剥いて分け与え、孫2号を入浴させる。2時間ほどして長男の奥さん、仕事を終えた長男が相次いで帰宅。大人ばかりだと辛気くさくなる場面もあるけれど、乳幼児がいると華やかで賑やかな場面もあるのがいいね。

長男らが帰宅したので、長男宅を辞して自宅でゆっくりと食事して、読書。

17日(金)

阪神淡路大震災から25年の日。自宅は一部損壊したけれど、家族に被害はなかった幸運。だがあの頃の仕事での茫然自失状態、そのあと長期間寝泊まりしながら(会社のテーブルに段ボールを敷いて毛布を被って寝た)仕事をしたが、正直その記憶も薄れつつある。

当時私は41歳、もし運悪く死んでいたらこの25年はなかったわけだ。
震災前と震災後は仕事上では人間が変わってしまったとよく友人たちに言われたな、震災前は堅苦しくてとっつきにくい雰囲気、でも震災を経てええかげんやけど前向きな雰囲気だとなぜか言われた。

たぶん多くの人の死を見て(子ども達を大阪の姉に預けて3日目に神戸に入ると体育館に多くの遺体が毛布に包まれて横たわっていた)、人の人生は理由なく不意に終わることを体験した。

今を生きよう
ということで、仕事だけではなく山を歩いて自然に向かい、ロードバイクに乗って風を感じ、よき言葉と出会うために読書した。

死ななくてよかったなと思う
だからこそ、この25年の芳醇な時間を持つことができたのだから。

ただそのあとも大切な友人を病などでなくした、私たちにできることは「その人が生きてきたことを忘れないこと、美しい風景に出会えば傍らにその友人がいることを感じ、端正な文章に出会えば友人が発した言葉を思い出すこと」かもしれない。

今日はいまから軽くジョギングして、夜は神戸で女友達らと居酒屋で飲むことになっている。震災時に同僚だった彼女らと25年の時をいっしょに経てきた。「小さくてもゆるやかな関係」を彼女らともてたことは、とても幸せなことだったと思う。

「偶然の旅人」として人は誰かと出会って、いつかは別れてゆく。
そのことを知る25年間だったような気もする。



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