がんばらない2020-01-13 20:24

2020年1月12日〜13日

12日(日)
ぶらぶらウォーキング 10.3km

2冊、本を読了。

エッセイを読んで面白かったので、短編集を読んでみた。「東京」の地名が各話ごとに出てくるけれど、あまり地域性は関係ないみたい。悲観、厭世、逃げ癖、放擲癖など生に流されやすい中高年がこれでもかと出てくるけれど、言い訳じみたり居直ったりしない文体がいいね。「清く正しく美しく」ありたい、それを目指すというのは嘘っぽい、でも下品にならないようにするのは難しい。


Dマガジンなどで雑誌を読んでいるが、ほとんどツマラナイ。
住宅関係やインテリアは、「誰がこんなスッキリした豪邸に住むんや?」という感想しか持ち得ないし、ファッション関連もおんなじ感じ。それにそんな金持ちやファッションセンスのよい人は、まずこんな雑誌を読んだりはしないだろう。「読者層」を編集者が勝手に考え、カタログ雑誌化している、そして付録が主体となって雑誌本体がオマケになったりしている。

「一緒に飲んでいて、たとえば「安藤忠雄も終わったよね」なんて言っている建築雑誌の編集者が、じゃあ自分の雑誌で「さよなら安藤忠雄特集」をやるかといえば、それは絶対にしない。ハイファッションなんて買えもしない編集者が誌面では「上質なものと暮らす喜び」なんて記事を作っている。そうやって自分を偽って、それで年収1億円とかならいいけれど、たいていの編集部はつねに薄給&超長時間労働だ。」(同書252頁)

痛快やね、まぁお酒の席で威勢のよいことを言う人は、ほとんど信用できないけどね(苦笑

最近、現代詩集をいくつか読んでみたが、妙につまらない。自分の感受性が劣化していることも影響しているだろうが、この本でも書かれているように

「僕らの言葉に対する感性は、昔の人間に比べて鈍くなっているわけでは、まったくない。むしろインターネットや携帯電話の発達で、いまほどみんなが「筆まめ」になっている時代は、これまでにはないはず。「詩壇」の外側にこそ、スリリングな言葉はまだいくらでも転がっているのではないか。」(同書145頁)

内輪としての組織化された言語は、つまらない。
新聞購読を数年前に止めてしまったのも、論説委員などの調査報道・分析ではないポエムを読まされるのに辟易としてしまったからだ。

ウォーキングしながら、Amazon Musicで音楽を聴いた。「くるり」「ハナレグミ」、そしてNHK ドキュメント72時間主題歌シンガー「松崎ナオ」など。

松崎ナオの「川べりの家」の詩のすばらしさ。
13日(月)
成人の日、午後からクロモリロードで街ぶら。式を終えた晴れ着姿の新成人とすれちがう。二十歳の頃、私はプータローで当然成人式にも出ていない。じゅうぶんに貧しく、じゅうぶんに孤独で、根拠のない自信に溢れていた二十歳、長髪で目つきばかり鋭かった。

ただただ(あまりにも努力家ではないので)運よく今まで生きてきたなと、新成人を眺めながら思う。

尼崎の森中央緑地まで走る。かやぶき民家が公開されていたので、入ってみる。




18世紀後期に建てられた芦屋市の旧小阪家住宅を移築したもの。
構造様式:入母屋造 茅葺き木造平屋建て
延床面積:153㎡

こんな家に老後は住みたいね、むりやけど。

この本を読了。

著者の体調があまりに悪かったようで、pha氏の気怠さが妙に伝わってこない。
「がんばらない練習」をしなくても、隠居者は「がんばれない」のでずいぶんと楽かもしれないね。

録画していた「ドキュメント72時間 尼崎 黄昏(たそがれ)のアミューズメント施設」を見ていたら、ひとりでビリヤードをしていた私と同世代の男性が「もう勝負でビリヤードをするのではなく、自分で極めていく」みたいなスタイルを持っていたけれど、共感したなあ、練習しなくともがんばらないようになるのが、隠居者の特権かもしれない。

クロモリロードで38kmぶらぶら。





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