身体の収支関係2019-10-25 13:07

風邪気味だ。今年の5月くらいからずっと気管支炎・喘息気味の症状がある。病院で服薬しても直らない、そして急に寒暖差が生じると、てきめん風邪をひいてしまう。加齢とともに、免疫力が低下しているのだろう。

66年間、身体を休むことなく(休ませたら死んでいく)使ってきたので、当然ながら老朽化しているのだろう。もちろん機械と違い、部品交換するわけにはいかないので、余生と養生という「身体の収支関係」も考慮にいれなければならないだろうね。

散歩以外は読書していることが多かった。
武庫川のコスモス畑にて

岸政彦氏の自伝的エッセイ「給水塔」がおもしろかったな。

著者は名古屋から関西の大学に進学して、そのまま大阪市内やその周辺に住んでいるようだ。
私も京阪神に住み始めて40年以上が経った、故郷の高知には19年しか住んでいない。

「とにかく街全体が反抗やルール違反や独自性でなりたっているような大阪という街が好きだった。」(同書106頁)


次男が、大阪下町育ちの女性と結婚して、奥さんの育った町で暮らしている。
もともとそこは港湾労働者の街、たぶん親世代は地方から出てきて知り合って結婚し、ちいさな一戸建てか分譲マンションを購入、二人ほど子供ができて、子ども達は大学進学というコースを辿ったケースが多いのではないか。

多くの市民は金持ちではないが貧困ではない、それが2000年までの大阪・京阪神だったと思う。

このエッセイを読んでいると、肉体労働のアルバイトに励んだ学生時代を思い出した。励むと云っても、怠惰なので、一ヶ月の生活費を稼げればよかった。奨学金+バイト代で生活、学費は国立大学だったので授業料免除制度を利用して、4年間で1万8千円しか負担しなくてよかった。

プータローのアルバイト生活から「やっぱ大学進学しないとやばいな」とおもって大学受験したが、合格したのは立命館大学と地方国立大学のみ。生活に追われるのがイヤだったので関西から授業料の安い地方国立大に進学したけど、地方の学生生活は生活費も安くて、暮らしやすかったね。

就職で京阪神に戻ってくると、やっぱ生活費で給料のほとんどは消えた。

肉体労働のアルバイトは、新聞配達住み込み、建設現場、料理店裏方(調理補助)、引越バイトなどシンプルなもの。長髪で頑強な雰囲気の身体だったので(街で絡まれたこともない)、建設現場ではゼネコンの社員にもイヤごとは言われなかった。

ビル工事現場に何人かの大学生バイトが入っていたが、現場監督の人に「仕事ありませんか、どんどん仕事ゆうてください」という男子学生がひとりいた。黒縁の眼鏡をかけ、短髪にしている、細身の身体だが筋肉質だ。

「なぜそんなに働きたいの?」と彼に尋ねると
「大学の応援部に入部しているんです。まもなく夏の合宿が始まるけど、先輩からの指導(シゴキ?)が半端なくキツいんで、それにいまから耐えられるように身体を鍛えておくんです。」と生真面目に答えた。

こいつマゾか、と思ったけど、そんな青春もあるんやね。

ただ彼は翌日は出勤せず、現場監督に尋ねると
「ああ、彼は急に盲腸になってバイトこれんわ」との返事。

夏の合宿前、肉体労働で身体を鍛え、先輩のシゴキを乗り越える前に、盲腸でダウン。
なんや、拍子抜けな奴やなと妙に脱力したことを今更ながら思い出した。


45年ほど前の出来事だけど、老人になったのだろう、本を読むと昔のことを思い出すことも多くなっている。

今宵は女友達らと三宮で食事会。いつもの気のおけないメンバーだけど、ひとりが所用があるので不参加、三人でこじんまりと食事して歓談する予定だ。




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