早く家へ帰りたい2019-10-09 21:20

隠居なれど義父の通院補助、孫の子守など、そして自分がちょっと風邪気味で養生したりしていた1週間だった。

義父も次第に弱っている気配もあり、かたや4歳、2歳と1歳の孫はかわいい盛り、人の季節の巡り会いは不思議な感もする。

こんな詩集を読んだ。
早く家へ帰りたい
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早く家へ帰りたい


   1

旅から帰ってきたら
こどもが死んでいた
パパ― と迎えてくれるはずのこどもに代わって
たくさんの知った顔や知らない顔が
ぼくを
迎えてくれた
ゆうちゃんが死んだ
と妻が言う
ぼくは靴をぬぎ
荷物を置いて
隣の部屋のふすまをあけて
小さなフトンに横たわったこどもを見
何を言ってるんだろう
と思う
ちゃんとここに寝ているじゃないかと思う
枕元に坐り
顔を見る
頬がほんのりと赤い
触れるとやわらかい
少し汗をかいている
指でその汗をぬぐってやる
ぼくの額からも汗がぽたぽた落ちてくる
駅からここまで自転車で坂道を上がってきたから
ぬぐってもぬぐっても落ちる
こどもの汗よりも
ぼくは自分の汗の方が気になった
立ち上がり
黙って風呂場に向かう
シャワーで水を全身に浴びる
シャツもパンツも替えてやっとすっきりとする
出たら
きっと悪い夢も終わってる
死んだはずがない


   2

こどもの枕元にはロウソクが灯され
花が飾られている
好きだったおもちゃや人形も置かれている
それを見て
買ってきたおみやげのことを思い出す
小さなプラスチック製のヘリコプター
袋から出して
こどもの顔の横に置く
(すごいやろ うごくんやでこれ)
ゼンマイを巻くと
プロペラを回しながらくるくると走る
くるくるとおかしげに走る
くるくるとおかしげに走る
その滑稽な動きを見ていたら
急に涙がこみあげてきた
涙と汗がいっしょになって
膝の上に
ぽたぽたと落ちてきた


   3

こどもの体は氷で冷やされ
冷たく棒のようになっていた
その手や足や
胸やおなかを
こっそりフトンの中でさする
何度も何度もさする
ぼくがそうすれば
息を吹き返すかもしれないと
ぱっちりと目をあけ
もう一度
パパ― と
言ってくれるかもしれない、と


   4

みんな帰った
やっとひとりになれて
自分の部屋に入っていくと
床にCDのケースが落ちていた
中身がない
デッキをあけると
出かける前とは違うCDが入っていた
出かける前にぼくの入れていたのは大瀧詠一の「ビーチ・タイム・ロング」
出てきたのは通信販売で買った「オールディーズ・ベスト・セレクション」の⑩
デッキのボタンを押すたびに受け皿の飛び出してくるのがおかしくて
こどもはよくいじって遊んでいたが
CDの盤を入れ替えていたのはこれが初めてだった
まだ字も読めなかったし
偶然手に取ったのを入れただけだったのだろうが
ぼくにはそれが
ぼくへの最後のメッセージのように思われて
(あの子は何を聴こうとしたんだろう)
一曲目に目をやると
サイモン&ガーファンクル「早く家へ帰りたい」
となっていた
スイッチを入れる
と 静かに曲が流れだす
サイモンの切々とした声が
「早く家へ帰りたい」とくり返す
それを聴きながら
ぼくは
それがこどもにとってのことなのか
ぼくにとってのことなのか
考える
死の淵からこの家へ早く帰りたいという意味なのか
天国の安らげる場所へ早く帰りたいという意味なのか
それともぼくに
早く帰ってきてという意味だったのか
分からないままに
日々は
いつもと同じように過ぎていく

ぼくは
早く家へ帰りたい
時間の川をさかのぼって
あの日よりもっと前までさかのぼって
もう一度
扉をあけるところから
やりなおしたい
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4歳を目前にして難病の子供を亡くした詩人のレクイエム詩集だ。小さな子供が亡くなるのは当然に残酷なことだし、普段は読まない題材だ。でも夏葉社が再刊したのは「子育てへの愛」への表現に私的なものだけではない普遍性があるためだろう。
運動会で母親に引かれる孫2号

長男夫婦も次男夫婦も、私たち以上に子供を慈しみながら育てている。慈しみながら育てるとひとことで言うのは簡単だけれど、一歳から四歳の子ども達三人は、当然ながら手もかかるしやんちゃもする。親は子供が生まれたときに長い長い青春を終わらさざるを得なくなる、それが人生の春から夏の時間へと続くのかもしれないね。

高階杞一の別の詩。
高階杞一詩集 (現代詩人文庫 (1))
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「人生が1時間だとしたら」

 人生が1時間だとしたら
 春は15分
 その間に
 正しい箸の持ち方と
 自転車の乗り方を覚え
 世界中の町の名前と河の名前を覚え
 さらに
 たくさんの規律や言葉やお別れの仕方を覚え
 それから
 覚えたての自転車に乗って
 どこか遠くの町で
 恋をして
 ふられて泣くんだ

 人生が1時間だとしたら
 残りの45分
 きっとその
 春の楽しかった思い出だけで生きられる

            ・・・詩集「春’ing」より
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長い長い春も無駄ではないのだろう。

秋めいてきた、台風も近づいている、明日は最後の夏日のようだ。

平凡な日常が続いていることを空に感謝しながら、明日も孫守のお手伝いなり。





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