鴨川ジョギングと下鴨納涼古本まつり ― 2019-08-14 16:10
昨日は下鴨納涼古本まつりを覗くために京都へ。阪急京都河原町から鴨川右岸に下りて、ジョギングで北上する。近づく台風のためか風があり、日差しもそれほど強くない、たぶん38度にはならないだろう。
川床の疎水を眺めながら、のんびり走っていく。
鴨川デルタから下鴨神社へ。
1時間半ほどのんびりと各店を見て回った。井伏鱒二・富士正晴などの古書を何冊か購入。
出町柳でビールでも飲もうかと手頃な店を探してみたが、遠い昔に入ったコテコテの中華料理の店はもうなかった。コンビニで缶ビールとツマミをかって河川敷でひとり飲む。
河原町へ走っていこうとすると、やはり暑さが半端なく三条あたりで挫折して歩きに変更。
世の中は声の高い人が早口かつ断定口調で喋るのが主流となっているようだ。文章も同じだ。この本はそれらと違い、静謐なところがいいね。
詩人の天野忠氏はこう語っている。
《物書き、とくに名の通った物書きのこわいところは老いてから書けなくなることでなく、抑制がきかなくなって、下らない作品をつぎつぎと書くことだ。老人性冗舌、表現における失禁。書かずにいるというのは、努力の、辛抱のいることなのだ》
なるほど「表現における失禁」とか「老人性冗舌」というのは、生き方にも顕れるかもしれないなと自戒。愛読している作家が最近この特徴が出ているような気がする。
昨日で66歳になった。
妙に中途半端な年齢だ。70歳くらいまでは、小さな幸せを日々重ねて、そして静かに暮らしていけたらいいかな。それ以降は、またその時に考える、短いスパンで軌道修正していくほうがいいかもしれない。
10年前にロードバイクで古本まつりに行っている。56歳だったが、いまより頑強で「老いって何?」と訝しがるほど不遜な自分がそこにいる。
だが人は平等に老いる。
「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」
小野茂樹
「これからはかなしく思ひ出すだろうあんなにも若かった夜と月と水」
永田和宏
夏になると思い出す短歌だ。
「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」
小野茂樹
「これからはかなしく思ひ出すだろうあんなにも若かった夜と月と水」
永田和宏
夏になると思い出す短歌だ。
老いたとはいえ、今年も夏らしい夏を過ごせていけたらなと思う。
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