高知旅から帰宅2019-03-10 11:33

金曜日に、三泊四日の高知ひとり旅から帰宅した。
高校卒業まで生まれ育った町を出て街(私の場合は京阪神地区)に住み、遠く故郷と離れた地方出身者にはなべて故郷には愛憎半ばする感情があるようだ。

室生犀星は小景異情(その二)にて

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや 
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


とうたった。

これは都(東京)からふるさと(金沢)への愛憎半ばな感情を表現したものだと言われているが、一説では室生が金沢に帰ったときの居心地の悪さを詩にしたものだという説もあるようだ。



物心ついてからの、つま先だった、根拠無き自信に溢れた青春時代を思い出すと、赤面してしまう人は多いだろう。そして私は機能不全な家庭に育ったので、その土壌であった高知の街にそれほど愛着は持たなかった。若い頃、関西や東京に定住した同級生が「高知に帰りたい、でも仕事がないんだな」と嘆いていたのを、不思議な感覚で眺めていた。

ただ還暦を過ぎて、GoogleMapではない色彩と匂いの風景のある故郷にもう一度会ってみたいなという思いが強くなってきた。隠居生活に入り、今週は時間もあったので火曜から金曜まで三泊四日の独り旅だった。

そしてもうひとつの目的は、山友のMさんが高校まで育った町・安芸市を訪れてみたかったことだ。2007年12月、私はMさんと初めて六甲山の船坂谷を歩いた。

当時、人への不信感が頂点に達していた頃だが、Mさんはなぜか「でもあなたは人が好きなんでしょ」といつもおっしゃっていた。

Mさんとはその後、比良山系・北摂・奈良ハイキングと何度か山行きを同行し、三宮や大阪で一緒にお酒を飲んだりした。いずれは四国の山にも登りたいねと行っていた2008年11月、Mさんに悪性腫瘍がみつかった。その後、手術、闘病生活となったが、体調が安定しているときには二人で近場をハイキングしたりサイクリングした。

でもMさんは2015年2月、52歳で亡くなった。Mさんは「高校から太平洋が見える。私は勉強があまり好きじゃなかったから、授業中、教室の窓から太平洋の煌めく海をよく眺めていた」とおっしゃっていた。




Mさんから聞いた安芸の海を見てみたかったこと、そして自分が生まれ育った町をジョグやトレイルランしたかったこと
それらを実現できる旅だった。でも人生の旅はまだまだ続くかな。






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