「生きるスタイルとして美しくない」(隠居生活準備編)2017-10-03 21:07

10月になって組織を退職して隠居生活に入るまで6ヶ月未満となった。
昨年の12月頃だろうか、40年近くになる組織人を卒業しようと決意した。還暦を過ぎたとはいえ、おそらく一般の60代よりは身体の動きも頭の回転も著しく劣るというわけではない。

だが、集中力や複数の処理をなめらかにおこなう能力は、加齢とともにゆるやかに低下していることは否めない。それに伴い自分自身にも小さなミスが散見されるようになった。誰にもミスはある、ただ60代後半近くになるとミスした場合

・自分の非を認めず相手やまわりの環境のせいにしたり
・悪手の場合、ミスしたことも人に指摘されて初めて気づくようになる。

昔は再雇用者は嘱託として補助的業務でのんびり働けばよいという風潮もあったけど、今はいち兵卒として「戦闘的規範」を求められる。自分の能力の緩やかな低下に気づいた今こそ、「老兵は去るのみ」という選択もあるのだ。私は凡庸だけれどプライドが高いという偏狭な性格なので、組織人にしがみつくのは「生きるスタイルとして美しくない」と感じてしまう。

妻は本来ならば今年の4月が定年退職だったが、義父の介護のために4年早く早期退職した。職場からは「介護休暇を利用して仕事を続けたらどうか」という打診もあったが、妻は「職場に迷惑をかけるし、中途半端な仕事はしたくない、それに介護が不十分だったとあとで後悔するのはイヤ」と早期退職を決めた。
私が定年になってもしばらくは再雇用で働くこと、息子たちが大学院を経て就職してキチンと働いていることも後押ししたのだろう。

たぶん彼女にも「生きるスタイルとして美しくない」のはイヤという価値観があったのだろうし、私も早期退職には賛成した。もっとも彼女が定年まで働いてくれれば老後資金がかなり増えましたけどね(苦笑

ということで隠居生活を考えるうえで、幾つかのポイントを今の時点で整理してみた。

■こころ編
唐突だけど隠居生活=無職者というよりは、「自由人」と捉えていきたい。
長らく組織人として生活していると立ち振舞いも言語活動も、組織人としてフォーマットされるのではないか。ちなみに私はいくつか散髪屋さんを変えたけれど、店主から「ご主人仕事は?」と尋ねられるので「なんに見えます?」と問い返すと、ほとんど「学校の先生?」との返事が帰ってきた。たぶんキチキチのイメージじゃないけど羽目は外せないという感じなのかな(苦笑

ちなみに職業は教師ではありません。

隠居生活を自由人として捉える際に参考になった本。ほんまの年寄りの本は説教臭くて、勘違いオヤジぶりがひどく参考にならない。

持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない (幻冬舎文庫) ひきこもらない
pha氏の「だるい、でも繋がりをもって生きよう」というスタイルは、低収入生活に入る隠居にこそ参考になることが多い。

明日クビになっても大丈夫!
「消費する趣味」から「生産する趣味」へは、難しいけど魅力的。脳は受容するのみではたぶん活性化されない、能動的スタイルも必要だけど具体的方策は現在おぼろげながらスタイルとして浮かんできている。

■身体編
先日、六甲山を久しぶりに歩いて楽しかった。でも今日は筋肉痛。ロードバイクには乗り続けたいし、体幹維持にはよい機材だ。

ただ以前のように1日で200km以上走るライドは、正直しんどい
好きな街にちょい住みしてのんびり走りたい

でこんな本を読んで妄想中
バイクパッキング入門 自転車ツーリングの新スタイル
著者に良い意味で癖がありすぎるので自分なりの咀嚼は必要だろう。

ちなみに下記の本では園部から丹波高原ー中山峠のマイナーコースが紹介されている。よいコースです。


バイシクルプラス vol.21 (エイムック 3847)
同書の筧五郎氏の酷道シリーズでは一部京都大原から酷道477百井峠を経て亀岡ー池田に抜けるコースが紹介されている。なかなかハードな道だ。
以前、逆コースを走っている。


■家族/友人編
長男・次男も魅力的な女性と結婚し、孫も増えていく。ただ「孫ブルー(孫の世話で経済的身体的に負担が重いこと)」という言葉があるように過度に孫に依存されるのも依存するのも不健全ではないか。互いに適度な距離感が必要だけれど
私たち親世代は(1950〜1959年生まれ)「三無主義・シラケ世代」と言われ、
・クールで個人主義な傾向が強い
・政治にあまり興味がない
・空気を読む、目立ちたくない
という特徴があるらしい。

息子夫婦たち世代(1983〜1986年生まれ)は氷河期世代とゆとり世代に挟まれて名称は無いようで
・忍耐力がある
・明るさのなかに緊張感を秘めている
・現状の生活水準に不満を持っていない
そうな。

確かに息子たち夫婦に垣間見られる特徴のような気もする。

たぶん世代的には相性は悪くないでしょう。もっとも家族の形は変わっていくので予測は難しいが、最終的には「息子孝行」できればよいと達観している。

友人は以前は多くいたけど愚痴仲間、飲み仲間、職場の付き合い仲間にすぎず、現在は5人ほどかな。年賀状も17年以上前にやめちゃったし。


会社の敬愛する先輩は10年以上も前に定年後数年で、そして一生の山友達となっただろう友人は2015年2月にともにガンで亡くなられてしまった。憎まれっ子が多く世に憚っているのに、神様の気まぐれを感じないではいられない。
だからこれからは「人生百年時代だ、総活躍社会だ!」と声高に言われると浅ましい気配を感じてしまうのだろう。



■経済生活編
隠居生活に入っても霞を食べて生きていけないので、年金と貯蓄をもとに老夫婦で生活していくことになる

経済生活を送るには
1,仕事からの収入
2.必要な支出を絞る
3,長期でお金を育てる
4,税制上のメリットを活用
などが必要といわれている。

1の収入がなくなるので、2が基本スタイルとならざるを得ない。
あと10年ほどで亡くなってしまえば、貯金と年金でほどほどな生活をできそうだけど、望外に長生きしてしまった場合の算段も必要になるだろう
そこで3・4の方向性も検討しなければならない。
現在の保有資産は夫婦の退職金+貯金、小さな戸建て住宅(ローン残債なし、ただし今後必要最小限のリフォーム資金は必要)。

退職金は当初1年間は金利が少しだけ有利になる退職金預金を利用したが、これは3ヶ月ごとに銀行等に預け替えしなければならないので、4つの金融機関を渡り歩くことになった。当然、各金融機関はこちらの預貯金状況を把握できるので、退職後1年を経過すると熱心な金融機関からは「資産運用」のお誘いがある。勧められたのは、毎月還元型の投資信託、外国債・社債を対象とする投資信託などで謳い文句は「インフレ時代が来たら今の資産状況では耐えられませんよ」ということらしい。

ただ金融機関が勧める投資信託は、顧客の損得に関わりなく手数料が金融機関に入るので、熱心に勧めるという背景があるようだ。

普通の定期預金は金利は限りなく低く、こんな辺境ブログでも、AmazonアソシエイトやGoogle Adsenseの収入のほうが僅かながらでもあるとい珍妙な現象が生じてしまう。

この本が参考になる。
10年から20年寝かしておける資金があるので、いわゆる積立投資(インデックス取引)をするのもよいかもしれない。投資というと銘柄を絞った株式売買があるが、これはハイリスクハイリターンで素人が手を出して株の上げ下げに一喜一憂するのも精神衛生に悪い。この本を読むと株取引はアルゴリズムで売買されているようで、一個人がAIのアルゴリズムに敵うわけがない。
アルゴリズムが世界を支配する (角川EPUB選書)
2018年1月には長期型NISAが登場するけれど、タンス預金の流出先を作るための日本型投資になるかもしれない(現行のNISAは短期すぎて投資の意味が減殺される)
若ければ株や不動産投資に伴う高揚感も魅力だろうし、失敗しても収入で補うことができるだろう。

隠居生活では欲どおしいことを考えず、かといって一部ミニマリストような極端な質素生活は私の好みじゃない。

と雑多に書いてきたけれど人生の終着駅へと至る道に、私達に選択権はない。
この記事は来年、隠居後に読み返すと赤面ものかもしれないがとりあえず準備編かな(苦笑




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