播磨の峠ー赤松峠2017-09-14 20:52

昨日はカーボンバイクで午前10時半頃、発進。

猪名川ー県道12号線と北上して20kmほど走って、ひと休止。
例によって行き先を考えていなかったが、「播磨の峠」などで紹介されている三木市吉川町と神戸市北区の境にある赤松峠に行ってみることにした。

道の駅いながわから68号線を西進、千刈水源地にて。

68号線から左折、千刈CCに至る静かな道を経て、三田市街地へ。

Googleマップで赤松峠の場所を検索する。

枝道が多くわかりづらいので、普段はOFFにしているスマホの位置情報をONにしてポイントごとにチェックしていく。

三田市街地から141号線を北上、左折して356号線を西進。うーん、微妙にアップダウンがあるな。地蔵横を東光寺方面に南下。

溜め池が多い。

吉川町毘沙門あたりで古道の雰囲気のする道に入る。古道や旧道に対する嗅覚はある程度あるようで、Googleマップで確認してみると、間違っていないようだ。

奥吉川村道路元標を発見。

峠に至る道で、南面六甲山方面を望む。

峠手前の小さな池に蓮の花が咲いている。

赤松峠は狭く地味な峠だ。

だが「播磨の峠」では

「京都からも近く、摂津とも接していることから重要な峠であった。そのため東からの攻撃の守りの拠点として、室町時代に国人領主藤田紀伊守がこれまでの城を拡大補強し、赤松山に毘沙門城を築いている。」(同書12頁)

と説明されているので、昔は人の往来が多かったのだろう。

「兵庫の峠」では巻末の一覧に掲載されており、「有馬郡三国の西にあり。俗伝圓心古戦場に因れり。自是播磨国毘沙門堂村へ出る所なり(摂陽郡談)」と簡潔な説明あり。


峠の途中に赤松街道説明板がある。

「赤松街道は、現在の吉川町毘沙門から神戸市北区長尾町上津に通じ、中世より播磨最東端の吉川から大阪、西国街道を経て京都へと続く主街道であり、摂津との国境にあるのが赤松峠(現在地より東へ1.5km)である。
赤松の呼び名の由来は、当時の赤松林から名付けられたと思われる。
毘沙門には、国人藤田氏の居城であった毘沙門城跡、常楽寺(廃寺)の子院赤松山歓喜院の聖天堂(応永18年、1411年建立 国指定重要文化財)、毘沙門堂には常楽寺の本尊であったと伝わる毘沙門天像(仏高 159cm)が安置され、境内には文和3年(1354年)銘の宝篋印塔が残されている。
また嘉吉の乱後、播磨守護赤松満祐が将軍足利義教の首級を京都から赤松峠を通り、東条谷の播磨安国寺に運ぶ際に首級を洗ったと伝えられている井戸もある。以下省略」


竹林の中の荒れた峠道を下ると、人家があり道も綺麗になる。生活道として、このあたりは補修整備されているのだろう。




帰路は17号線を東進して三田市街地へ。70kmほど走って、微妙なアップダウンに脚が削られたのだろう、ふくらはぎの筋肉が固くなっている。

西宮山口町ーR176ー生瀬と走ってきたが、宝塚市内の信号で発進すると思いっきりふくらはぎを攣ってしまった。武庫川河川敷で寝っ転がってストレッチなどをして、帰宅。

帰宅後は座卓に脚をのっけて、血流が脚付近に集中しないようにすると痛みも緩和された。

以前は夏場に200kmほど走っても脚を攣ることなど無かったので、加齢とともに筋肉も柔軟性を失っているのだろう。
最近は峠をあまり走っていなかったので、登坂力もかなり低下しているのだろう。

加齢を実感した日だったけど、楽しみながらロードバイクには70歳頃まで乗っていたいな。

走行距離 92.3Km





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