百歳までの読書術2015-09-06 15:24


津野海太郎「百歳までの読書術」を読了。

 百歳までの読書術

冒頭にこう書かれている。

「三年前に七十歳をこえた人間としていわせてもらうが、六十代はいま思うとホンの短い過渡期だったな。五十代(中年後期)と七十代(まぎれもない老年)のあいだに頼りなくかかった橋。つまり過渡期。どうもそれ以上のものではなかったような気がする。」

私は現在六十二歳、なんとなくその気持ちはわかる。
たぶん七十を超える頃から、バンバンと老いが押し寄せてくるのだろう、身体の衰えとか、漢字が読めても書けなくなるとか、固有名詞はおろか普通名詞も思い出すのが難儀になるとか。

津野さんの本を四十代に何冊か読んでいるはずなのだが、はっきりとは思い出せない。以前は律儀に読書ノートみたいな備忘録を書いたりしていたが、最近はそのエネルギーもないので本は基本、読みっぱなしだ。

この本では
・いかに蔵書を減らしていくか
・小馬鹿にしていた図書館が意外に役に立つとか
・先人は「読書と老い」をどのように考えたか
などがユーモアをもって描かれている。

私は学生時代は、けっこう本を読んだけど、そしてそれは若者特有の知的ディレッタントなんだけど、社会人になってからはノウハウ本以外はほとんど読まなくなっていた。

でも40代に人生には妙に理不尽なことがあるな(阪神大震災の経験や個人的軋轢)と思い至り、小説なども再度読むようになった。

もちろん本を書く人が才能ある人で、本を読んだからと言って賢くなるわけではない。本好きの人間嫌い、多読家の品性下劣な人はたくさんいる。

本読みの楽しみは、この本で紹介されているポール・オースターの「わがタイプライターの物語」で書かれているように
「読むこととは、自分の力で見るすべ、自分の頭のなかにイメージを思い描く技術ではないのか?そして読むことのすばらしさとは、物語に没頭するときに包まれる静寂、他のすべて音を閉め出して頭のなかで響く作者の声なのではないのか?」

確かに、村上春樹の小説などを読んでいるとこんな感じ。

いやいやその前に、「わがタイプライターの物語」、なんか聞き覚えのある題名だなと思い、自分のブログを検索してみると、読んでますやん。

キーボードを打つ夜、「わがタイプライターの物語」を読む。(2006.6.13)

あとこんな本も読んでいた。

ブコウスキー(2014.11.16)

もうね、どんどん忘却していけばいいんです(苦笑)

たいして本を読まなくても、塵も積もれば山となる、蔵書が本棚から溢れる。数年に一度くらい妻が整理してくれて、ブックオフに引き取ってもらう。

だから最近はこれはという本しか購入しないし、電子書籍があればそちらを利用しようと思っている。本なんて本人以外の家族にとってはガラクタみたいなものだから。

いっとき図書館を利用しようと思ったけど、返却期間があること(積ん読できない)、身銭を切らないと真剣に読まない、などの理由からあまり利用していない。

でも六十五歳になれば完全引退し、時間はあり、されど年金+貯蓄による生活になるので津野氏の言うように図書館で読み、欲しい本は購入するというのがいいかも。

七十歳になったら、この本を再読してみよう。そのまえに自分のブログを検索して、2度買いしないようにしないとあきません(汗

それにしても七十歳になったら老いがバンバンと押し寄せてくるのか。
自分だけが例外なんてありえないから、ロードバイク関連はどうしようかと妄想していたら、こんな記事を読んだ。

YAMAHAの電動アシストロードバイクYPJ-01の続き | 難波賢二 ...

ロードバイクの作法・身体性からいったら邪道かもしれないけど、私が七十歳になるころにはより進化しているかもしれません。

YPJ ティザーサイト




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