20年 ― 2015-01-18 20:07
20年前、会社の机の上に段ボールを敷き、ジャンバーのまま毛布にくるまって寝起きしていた。仕事中も余震が頻発し、そのたびにビクッとした。
20年前の夜、仲間と「神戸が復興するのには10年はかかるんだろうか?」と話し合っていたが、あれから20年が過ぎた。
現在の三宮の街を歩いていても、震災の痕跡は少なくなっている。ボクは自宅が少し傷んだくらいで、家族にも被害はなく、20年を過ごしてきた。
でもあの震災がなければ、山を歩いたり、ロードバイクに乗る人生を送っていなかっただろうなと思う、うまく表現できないけど、ずっと傲慢な人間で居続けただろう。
今日は午後からカーボンバイクで少し走ってきた。
阿古谷の集落にて。
紫合のパン屋さんで3時のおやつのケーキセットをいただく。
震災時41歳のボクは61歳になった。
何度も申し上げているように、ロードバイクに乗れる人生はとても恵まれたものだ。
頭だけで悩んだりする人生は送るまいと決めた20年前、ボクは少しはマシな大人になったのだろうか。
でも、バイクは「そんなことは気にしなくていいんじゃない」と語りかけてくるようだ。
20年前の夜、仲間と「神戸が復興するのには10年はかかるんだろうか?」と話し合っていたが、あれから20年が過ぎた。
現在の三宮の街を歩いていても、震災の痕跡は少なくなっている。ボクは自宅が少し傷んだくらいで、家族にも被害はなく、20年を過ごしてきた。
でもあの震災がなければ、山を歩いたり、ロードバイクに乗る人生を送っていなかっただろうなと思う、うまく表現できないけど、ずっと傲慢な人間で居続けただろう。
今日は午後からカーボンバイクで少し走ってきた。
阿古谷の集落にて。
紫合のパン屋さんで3時のおやつのケーキセットをいただく。
震災時41歳のボクは61歳になった。
何度も申し上げているように、ロードバイクに乗れる人生はとても恵まれたものだ。
頭だけで悩んだりする人生は送るまいと決めた20年前、ボクは少しはマシな大人になったのだろうか。
でも、バイクは「そんなことは気にしなくていいんじゃない」と語りかけてくるようだ。
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