六瀬村道路元標2014-10-26 21:52

昨日まで風邪気味だったので、ひたすら寝て(ボクの場合、風邪にかかるといつも以上によく寝る)、Netで注文した電子書籍を読んだりしていた。

今日は体調も回復したので、火野正平のこころ旅週末版を見てから、午後からカーボンバイクで発進。

気温がグングン上がってバックパックに薄手のウインドブレーカーを入れていたが、結局半袖ジャージでも汗をかくほどだった。

上阿古谷の旧道を走る。

うんうん、いい雰囲気ですね。

猪名川町クリンセンター近くの公園でひと休止。

槻並の里道を走って、菓子処「うませ」へ。
そうそう、その前に今日は道路元標のチェックです。
先日、講談社現代新書「ふしぎな国道」を読んでいると、道路元標(どうろげんぴょう)なるものが存在することを知った。

道路元標は大正時代に各自治体の中心部に設置されるようになり、当時12,000以上の自治体が存在していた(平成の大合併などにより現在は1700程度)から道路元標もその数だけ存在したようだ。

道路元標は縦横25cm角、高さは約63cmほどの直方体で、頭部が丸く削られた独特の形をしており、材質の多くは花崗岩。
ただ道路元標は新しい道路法(1952年、昭和27年)の施行により法的根拠がなくなったので、道路の変遷とともに多くが撤去されたようだ。

菓子処「うませ」の北、木津橋を渡り二又に別れる道の中心に、その道路元標は佇んでいる。

「六瀬村道路元標」と読み取ることができる。設置の経過からすると90年以上、この場所に存在し続けたのだろう。

そして現在の県道12号線が別ルートで敷かれたため、この道路元標は残ったのだし、「くろまんぷ」も同じように存在し続けたのだろう。
旧道倶楽部のHP、「津坂隧道」に詳しい由来が書かれている。


ググってみると、全国の道路元標を記録している人がいるんだ!
いやぁ なかなかに素敵です。

ボクにはこのような熱心さはないけれど、ロードバイクで走る楽しみがまたひとつ増えた感じ(笑)

道路元標を撫でてから菓子処「うませ」で季節の和菓子を購入して、ご主人と歓談。
近しき人がここの和菓子が大好きなので、バックパックの中で崩れないように注意して、帰路につきます。

カーボンバイクは秋空の下、快走するにはいいですね。


コメント

_ やの ― 2014-10-27 01:34

昨日は京丹波方面に走りに行っておりましたが、汗ばむほどの気温でしたね。さて、道路元標ですが、
中谷村(広根の交差点散髪屋の手前の細い道を東に入ったところ)、
西谷村(釣り堀の交差点から千刈方面に走り、西谷小学校からの伸びてくる道との交差点)、
後川村(ドライブインの東側の旧道の橋をわたったところ)、
小浜村(小浜の家並みを抜けて中国道のガードをくぐって少しいったところ)、川西町(川西小学校の脇のJRの踏切をわたりすこし西にいったところ)、
伊丹町(長寿蔵のところの交差点)、稲野村(旧西国街道沿い東天神社の南あたり)を近くでは見かけたことがありますので、近くに行かれましたらまた捜してみて下さい。

_ asyuu>やのさん ― 2014-10-27 21:33

あいかわらずのサイクリストならではの情報、ありがとうございます。
道路元標とともに旧いおにぎり標識、白看なども探索してみる予定ですが、どれも旧制度のものなので、地味なところにひっそりとあるようですね。

まぁそれがおもしろいのでしょうが・・・

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
コメントいただく場合にはスパム防止のため、半角数字「0813」を入力してください。

コメント:

トラックバック


はてなブックマークに追加はてなブックマークに追加
Blog(asyuu@forest)内検索

Copyright© 2005-2025 asyuu. All Rights Reserved.