京都泉屋博古館、茂庵、Pedal Stories ― 2010-06-26 13:30
昨夜はオヤジ仲間のIくんと飲んで、帰宅後爆睡。
仕事の疲れと遊び疲れです。
今日は土砂降り雨なので、先日(6月24日)の京都大人の遠足をまとめてみました。
阪急電車梅田駅で友人のmさんを待っています。
四条河原町から32番バスに乗って宮ノ前で下車。バス停前に泉屋博古館があります。
美術館前の庭。
仕事の疲れと遊び疲れです。
今日は土砂降り雨なので、先日(6月24日)の京都大人の遠足をまとめてみました。
阪急電車梅田駅で友人のmさんを待っています。
四条河原町から32番バスに乗って宮ノ前で下車。バス停前に泉屋博古館があります。
美術館前の庭。
泉屋博古館は住友コレクションの一部を展示している。
常設展は青銅器が中心だが、今回は近代洋画と美術館の建物自体を楽しむのが目的です。
青銅器には興味はあまりないけど、レイアウトがすてき。
窓から東山を眺めることができます。
近代洋画の中では渡辺與平(1889-1912)の「ネルの着物」(明治43年ー1910年)と渡辺ふみ子(1886-1977)の「離れ行く心」(大正2年ー1913年)が目にとまりました。
渡辺與平「ネルの着物」。妻である渡辺ふみ子を描いた作品。
渡辺與平は結核のため24歳で夭折。妻であり画家でもあった渡辺ふみ子は5年後に再婚するのだが、その直前に描いた自画像「離れ行く心」がこの「ネルの着物」の絵と相似形をなしている。
二人の軌跡を考えると「離れ行く心」という画題から彼女の切なさや思いが伝わってきそうだ。
渡辺ふみ子の年譜を読むと
1886年(明治19年)横浜市に生まれる
1907年(明治40年)東京女子美術学校高等科卒業 満谷国四郎に入門、太平洋画会研究所に入所する
1909年(明治42年)長崎出身の画家・渡辺与平と結婚 第3回文展初入選
1912年(明治45年)夫・渡辺与平病没。24歳
1918年(大正7年)亀高五市と再婚。姓を「亀高」と改める
1923年(大正12年)神戸市に移住する
1926年(大正15年)神戸に赤艸女子絵画研究所を創立
1962年(昭和37年)兵庫県文化賞受賞
1975年(昭和50年)大谷記念美術館で、自選展を開催
1977年(昭和52年)没す。91歳
彼女は神戸に移り住み、女性画家の指導に携わっている。
休憩室から眺める中庭。無料のお茶コーナーもあり座りやすいソファから青空を眺めます。
美術館でゆっくりして哲学の道を散策。
この疎水は琵琶湖疎水から分岐したものであり、この時季は観光客も少なく静かな散策ができます。
紫陽花
ランチは白沙村荘の洋館を改装した「NOA NOA」でいただきます。
見た目は敷居が高そうだけどリーズナブルでビール・ワインもおいしい。
ハムの盛り合わせ、パスタ、ピッツアを注文して庭を眺めながらビールなどをいただく。オープンテラス形式なので風が吹き抜け気持ちがよい店です。
お茶タイムはひさしぶりにカフェ「茂庵」に行くことにしました。
神楽岡の大正時代の家並みを抜けて吉田山に向かいます。
東に大文字山
紫陽花の似合う道。
柴崎友香の小説に出てくるような旧家。
階段フェチです(笑
吉田山の林を抜けると茂庵に到着
入口では蚊取り線香がお出迎え
奇しくも6月24日は僕らの共通の先輩であるKさんの命日。4年前に若くして逝去されたけど、彼との時間は僕の宝物になっている。
人との距離感が近すぎず遠すぎず、干渉しないけど怜悧でもない。そんなK先輩とバーで飲んでいると、いきなり「asyuuくん、僕はこのへんで。君はもっと飲んでて」と辞されたK先輩。子どものように無邪気でした、K先輩。
6年前に皆でこの茂庵を訪れました。
映画の話や小説の話を生き生きと語るK先輩。
僕はあれからずいぶんと人間不信にも陥ったし、この組織の人には少数を除いて本音をぜったいに語るまい、人との関連性の中で豊かになるより傷つけたり傷つけられたりすることのほうが多いって思ったけど、K先輩なら「asyuuくん、人ってそんなもんだよ。なに期待してんの?」とおっしゃるでしょうね・・・
妄想に浸っていると、mさんがケーキの前ではしゃいでおります。
久しぶりの茂庵、ここも風が吹き抜け気持ちの良い時間でした。
吉田山を下って京都市国際交流会館に向かいます。
Pedal Storiesを拝見させていただく。
どれも魅力的な写真が展示されていたけど
mさんも私もこの写真に魅せられました。
(Pedal Storiesから引用)
Netの画像とは違うすごい迫力で自転車乗りの息づかいが伝わってくるようです。
トイレ休憩して会館の外に出ると
mさんがはんなりとベンチで休憩中。前日もジョグしたのに、今日も僕に連れ回されてちょっとお疲れ気味?
にもかかわらず蹴上のねじりまんぽ見学に行きます。
大好きな「くろまんぷ」と似た雰囲気がありますが、くろまんぷは山中にあるため神秘的な感じです。
東山ドライブウェイの坂道を眺めていると、「わお、ロードバイクで走りたい!」と思いました。
しばしブラブラしておばんざいのお店で夕食。
あんなことこんなことを話してお開きとなりました。
僕は人との距離感がすこし壊れているけど
そんな距離感を理解してくれる友人達に恵まれかなり幸せです。
来月は昨夜飲んだIくんと奈良ハードコース遊歩に出かけるので楽しみ。
明日は天気が回復すればロードバイクで走りたいな。
偏頗で独りの時間が絶対に必要な僕にはロードバイクの世界は不可欠な世界になっている。
二人の軌跡を考えると「離れ行く心」という画題から彼女の切なさや思いが伝わってきそうだ。
渡辺ふみ子の年譜を読むと
1886年(明治19年)横浜市に生まれる
1907年(明治40年)東京女子美術学校高等科卒業 満谷国四郎に入門、太平洋画会研究所に入所する
1909年(明治42年)長崎出身の画家・渡辺与平と結婚 第3回文展初入選
1912年(明治45年)夫・渡辺与平病没。24歳
1918年(大正7年)亀高五市と再婚。姓を「亀高」と改める
1923年(大正12年)神戸市に移住する
1926年(大正15年)神戸に赤艸女子絵画研究所を創立
1962年(昭和37年)兵庫県文化賞受賞
1975年(昭和50年)大谷記念美術館で、自選展を開催
1977年(昭和52年)没す。91歳
彼女は神戸に移り住み、女性画家の指導に携わっている。
休憩室から眺める中庭。無料のお茶コーナーもあり座りやすいソファから青空を眺めます。
美術館でゆっくりして哲学の道を散策。
この疎水は琵琶湖疎水から分岐したものであり、この時季は観光客も少なく静かな散策ができます。
紫陽花
ランチは白沙村荘の洋館を改装した「NOA NOA」でいただきます。
見た目は敷居が高そうだけどリーズナブルでビール・ワインもおいしい。
ハムの盛り合わせ、パスタ、ピッツアを注文して庭を眺めながらビールなどをいただく。オープンテラス形式なので風が吹き抜け気持ちがよい店です。
お茶タイムはひさしぶりにカフェ「茂庵」に行くことにしました。
神楽岡の大正時代の家並みを抜けて吉田山に向かいます。
東に大文字山
紫陽花の似合う道。
柴崎友香の小説に出てくるような旧家。
階段フェチです(笑
吉田山の林を抜けると茂庵に到着
入口では蚊取り線香がお出迎え
奇しくも6月24日は僕らの共通の先輩であるKさんの命日。4年前に若くして逝去されたけど、彼との時間は僕の宝物になっている。
人との距離感が近すぎず遠すぎず、干渉しないけど怜悧でもない。そんなK先輩とバーで飲んでいると、いきなり「asyuuくん、僕はこのへんで。君はもっと飲んでて」と辞されたK先輩。子どものように無邪気でした、K先輩。
6年前に皆でこの茂庵を訪れました。
映画の話や小説の話を生き生きと語るK先輩。
僕はあれからずいぶんと人間不信にも陥ったし、この組織の人には少数を除いて本音をぜったいに語るまい、人との関連性の中で豊かになるより傷つけたり傷つけられたりすることのほうが多いって思ったけど、K先輩なら「asyuuくん、人ってそんなもんだよ。なに期待してんの?」とおっしゃるでしょうね・・・
妄想に浸っていると、mさんがケーキの前ではしゃいでおります。
久しぶりの茂庵、ここも風が吹き抜け気持ちの良い時間でした。
吉田山を下って京都市国際交流会館に向かいます。
Pedal Storiesを拝見させていただく。
どれも魅力的な写真が展示されていたけど
mさんも私もこの写真に魅せられました。
(Pedal Storiesから引用)
Netの画像とは違うすごい迫力で自転車乗りの息づかいが伝わってくるようです。
トイレ休憩して会館の外に出ると
mさんがはんなりとベンチで休憩中。前日もジョグしたのに、今日も僕に連れ回されてちょっとお疲れ気味?
にもかかわらず蹴上のねじりまんぽ見学に行きます。
大好きな「くろまんぷ」と似た雰囲気がありますが、くろまんぷは山中にあるため神秘的な感じです。
東山ドライブウェイの坂道を眺めていると、「わお、ロードバイクで走りたい!」と思いました。
しばしブラブラしておばんざいのお店で夕食。
あんなことこんなことを話してお開きとなりました。
僕は人との距離感がすこし壊れているけど
そんな距離感を理解してくれる友人達に恵まれかなり幸せです。
来月は昨夜飲んだIくんと奈良ハードコース遊歩に出かけるので楽しみ。
明日は天気が回復すればロードバイクで走りたいな。
偏頗で独りの時間が絶対に必要な僕にはロードバイクの世界は不可欠な世界になっている。
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