ザラザラした感情に「回転木馬のデッド・ヒート」2008-10-19 09:15

しばらくブログを更新しないでいました。自分の中に失望や哀しみや憎しみなどのザラザラした感情が沸点を超えたときには文章を書くことはしません。ものごころついた頃から「自分の感情をコントロールする」ということが大事だと思って生きてきました。もちろん自分の感情をうまくコントロールすることなどはできないでしょう。
だから最近はザラザラした感情の時には村上春樹の短篇を読みます。
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)
「レーダーホーゼン」以外はすべて未読の短篇でした。村上春樹が人から聴いた、日常の不思議な話をスケッチとしてまとめた小説。後の「東京奇譚集」の原点ともいえる作品群です。
「回転木馬のデッド・ヒート」は小説の題名ではなく、この作品群のまとめとして象徴的に付けられたもの。

「我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。誰も抜かないし、誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。」(同書15頁)

この言葉の中に「高度資本主義のシステム」を生きる人々の空虚さと哀しみが表現されているように思える。

自己実現という機能が時には人を残酷に傷つけ、そして自分さえも傷つけてしまう。「今は亡き王女のための」という短篇にはその機能が静かに描かれている。

そして人との距離感が近しくなるにつれ、反転して失望やエゴイズムが肥大化していく過程を「野球場」という短篇は描いていく。

村上春樹の作品が25年を経ても古びないのは風俗としての今を切り取ったものではなく、私たちの気づかない部分を(そしてそれは効率的に生きるためには排除されがちなもの)静かに提示していくからだろう。
時に村上春樹は作家としては残酷な作家とも思える。

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)
この短篇集にも未読の作品があるので読んでいる途中です。

さて今日はすこし暑いが見事な秋空。昨日仕事だったので自転車には乗れなかった。 珈琲とサンドを食べてから、すこしロードバイクで出かけてきます。


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