村上春樹「東京奇譚集」再読2008-05-14 23:59

今日は職場の歓送迎会だった。すこしほろ酔いで、心地よい乾いた心と夜の匂いの中、神戸北野坂をひとり下っていった。おそらく孤独の意味を詮索したり、妙に誇示したりする時代は私の中ではとっくに過ぎ去ったのだろう。
ある程度長く生きていると、ささいな偶然と思ったことが必然であったり、選び取ったのだと傲岸に思ったことが、実は予定調和的だったのだと思うことがある。

村上春樹「東京奇譚集」を再読。

東京奇譚集 (新潮文庫 む 5-26)

強引にまとめるとこの短編集を貫くのは「人を愛することの哀しみと慈しみ」ではないのか。そして小さな出来事だが不思議な符合によって、人は結びつくとともに離れてもいくのではないのか。

「偶然の旅人」
ゲイの調律師が姉と和解する物語。奇妙な符合がきっかけになる。女性に性的な同調性を感じないという男性がいるのは不思議じゃない。現に私のまわりにもそのような人はいる。それは傾向であり個性だろう。だが異性愛が過度に、盲目的に賞賛されがちな「世間」という枠組みの中で、ゲイをカミングアウトすることは一種の「哀しみ」かもしれない。

「ハナレイ・ベイ」
19歳のサーファーがハワイで鮫に右足を食われ、溺死する。母は年に1度、3週間、息子の亡くなったハナレイ・ベイで海を眺めて休暇を過ごす。「息子を愛していたけれど、人間として好きになれなかった」母は、日本から来た若者が見たという片足のサーファーを見ることができない。

「どこであれそれが見つかりそうな場所で」
意図的に翻訳調の文体。メリル・リンチにつとめる40歳の夫、合理的で怜悧な妻、そしてマンション階下に住む神経症の母。夫は階段付近で忽然と姿を消す。そして時間の探偵のような男が調査をするが、夫は20日後仙台でホームレスのような姿で発見されるが彼に20日間の記憶はない。文体は翻訳調で意図的に合理性を排除したようなストーリー。
闇がまだ重視された近代ならば「神隠し」として表現されたものだろうが、村上春樹の世界では原因をつきとめることはない。それが現代の神隠しにふさわしいのだろう。

「日々移動する腎臓のかたちをした石」
題名が魅力的。父親から「男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない」という「呪い」をかけられた男。 魅力的な女性と出会うが、関係は唐突に、だが、必然かのように切断される。

「品川猿」
自分の名前だけを忘却するという女性の症状の原因が、名札を盗む品川猿のためだったという結末におもわずニヤッとする。ところがこの品川猿は言葉も話すし、名札を盗むことによって、名札の主の善きところも心の闇も引き受けてしまうという奇妙な猿だ。名札を盗まれた女性は、母からも姉からも愛されていなかったという深層心理を品川猿から聞く。
ひょっとすると品川猿は私たちの心のなかにいるかもしれないなと思わせるようなストーリー展開。

この作品は落ちついた読後感を与えてくれる。それは私のまわりでも起こっている小さな出来事だが、思い返してみると不思議な符合であった出来事を豊かに示してくれるからだろう。


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