舞洲ポタリングと16歳の夏2008-05-11 23:31

尼崎りんりんロードの木板の道がきもちいい

今日は午後から天候が回復したので舞洲をポタリングしてきました。

コースは
武庫川堤防道路ー尼崎寺町ーR43ー淀川スーパー堤防ー舞洲ーUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)ー淀川堤防ーR43ー尼崎りんりんロードー尼崎港ー武庫川堤防道路

低気圧が去った直後のためか、風が強く気温も低い。舞洲・尼崎港と海を眺めていると、高知の海を思い出した。
友人と自転車で堤防まで走り太平洋を眺めていた。中学の頃だった。たぶんたわいないこと、好きな女の子のことや高校進学の話しをしていたのだろう。

彼がある人と会って欲しいというので、高知の繁華街の喫茶店である女性と会った。40歳くらいの女性だったろうか、私たちにケーキとジュースを振る舞い彼の近況を尋ねる。丁寧語で彼に話しかけ、ときおり淋しそうな表情をする女性だった。

女性と別れて彼がぽつんと私に話しかける。「今の人、俺のほんとうのお母さんなんだ。俺が小さいとき親父と別れて、今の母は継母。妹は腹違いってわけだ」
15歳だった私はなんどか彼の家に遊びに行き食事したり泊まったりしていたので、そのような事情があるとは想像もしていなかった。不幸や困難は個性的なものであり、言葉や生活する術をしらない15歳の私たちはどう対処したらよいものかわからなかった。

中学卒業後、別の高校に進学した夏、彼がバイクの自損事故で死んだことを後で知った。高校に進学して、中学時代の剽軽な表情は消え、背も高くなり不良仲間とつき合うようになった彼とは疎遠になっていた。
いまさらぐれるなんて何を考えているんだという思いが当時の私にはあったのだろう。ぐれるなら中学の時にしておけよって。

彼は無免許のバイクで転倒してあっけなく死んでしまった。彼が死ななくても、彼と私はその後まじわることはなかったかもしれない。
でも太平洋を眺めながら堤防に寝っ転がったり、夜の砂浜で波の音を聴いたりしていた時代が確かにあった。彼は16歳で死に、私は40年経って今、恥ずかしい生き方をしていないか。

自転車に乗ると時折昔の匂いや人々を思い出す。なぜかはわからない。

神様の気まぐれで死に直面するまで生き続けること、そんな単純な思いで日々を生きていきたい。

今日の走行距離【61.82】Km


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