嶽本野ばら+藤原新也、そして友との別れ ― 2006-06-06 02:39
いま、嶽本野ばらの「ロリヰタ」を読了。野ばらさんの小説は、精神の自立を描いているんですよね。「ロリータファッション」や作品中にちりばめられたブランド名は、主張としての記号のような気がする。ファッションって、結局、その人の生き方の主張みたいなものだから。オヤジ・おばさんになるのは、身体とファッションが、主張を無くしているからではないかな。勘違いオヤジと、はしゃぐおばさんは、ことごとくだらしないファッションスタイルになっていくというのは言い過ぎか・・・。
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前回の「なにも願わない手を合わせる」から、ひさしぶりの藤原作品。
「何も願わない手を合わせる」は、彼のサイトでの記事(菜の花電車など)を再構成したもの。「菜の花電車」は、友との出会いと別れを描いた文章だが、これを読むとYくんのことを思い出す。
Yくんは、大学時代に親しくつき合った友人。大学時代の私は、偏屈で協調性のない青年だった。
授業に出ても、同級生とはほとんどしゃべらず、大学・図書館と下宿の往復生活。ある授業を終えて、教室を出ると彼が話しかけてきた。
「いつもひとりで授業を受けているけど、どうして?」
片意地を張っていた私だけれど、会話には飢えていたのだろう、そのまま彼と数時間、本のこと、将来のことを語り合うことになる。
Yくんは、九州の某県の出身で、熱血漢だった。イメージ的には村上龍みたいな風貌かな。
一緒に中華料理店でアルバイトをして、ふたりでひたすら餃子を焼いたり、ラーメンをゆでたりした。
客の多い中華料理店で、食事付きというバイト。だが、私たちアルバイトは、ビルの天井裏みたいな部屋で「メザシと漬け物とご飯」のみという食事。なるほど経済合理性に富んでいる経営者は、「バイトに商品を提供するものではないんだ、商品に余り物がでたら捨てればよいと考えるものなんだ」と、妙に感心したものだ。
彼は、どんなバイトでも手を抜くことなく、よく働いた。
そしてある日、彼が深夜に私の下宿を訪ねてきた。
「実は、水商売のボーイをしようと思ってるんだ。俺は、このまま大学を卒業しても平凡なサラリーマンになってしまう。俺、金持ちになりたいんだ」と言う。
「なんで金持ちになりたいの?水商売の道に入るのが、金持ちへの最短距離とは思えないけどなぁ」
私には、彼が水商売のバイトをすることに反対だったのは、もうひとつの理由があった。
たぶん、彼はそこのホステスさんと仲良くなってしまう、熱血漢だが心優しい彼は、情にほだされる側面があった。
青年が、数歳年上の女性の性的魅力にあらがうのは難しいような気がしたのもある。
結局、彼は水商売のバイトを選び、準店長にまでなった。だが、勉強に身が入らず、大学は留年した。
私が就職が決まった頃、彼は、私を彼の故郷に案内してくれた。彼の町に着くと、兼業農家で実直そうな彼の父親・母親が、私を歓待してくれた。半島が伸びるその町には、多くの野仏が鎮座する場所であった。薪で炊く木風呂に入り、新鮮な野菜、そして心のこもった食事をいただいた。次の日、レンタカーを借りて、半島をまわった。二人で海を眺めながら、私はすこし上気した気分で、卒業後の仕事への抱負を語っていた。
彼は、海を眺めながら言った。
「俺、留年したし、いまのバイトに本腰を入れたいと思うんだ。実は、いま一緒に暮らしてる女の子がいるんだ。その子と新しい店に移ろうと思ってる。店長として採用されるし。あの世界は、肌に合ってるし、実力の世界だから、俺の力を試すことができると思う」。
私は、強いて反対はしなかった。正確に言うと、新しい仕事・新しい環境への思いで、余裕がじぶんの中になかったのだろう。
今の会社に就職して、学生時代とは違った忙しい新人生活を送っていた1年目の夏、彼から電話があった。
「やっぱり、大学を辞めるわ。彼女と水商売の世界に挑戦してみるわ」
私は、なにも言えなかった。私と彼の住む世界が、はっきりと分かれてしまったことにふたりとも気づいていたからだろう。
その後、彼の実家になんどか年賀状を送ったが、彼からの返信はなかった。
菜の花を見ると、つい彼とのことを思い出してしまう。それは友との別れの象徴のような花だから。
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